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意識の中の幽霊

Masaori Tanaka

2026年4月1日

―行動科学的視座からみた人・動物・AI における意識概念の再検討―

田中 雅織

一般社団法人 日本ドッグビヘイビアリスト協会(JDBA),Yokosuka, Japan

受稿日:2026年4月1日

Preprint 未査読論文 · JDBA Journal of Canine Behavioral Science 2026



【要旨】

本論文は,「意識」概念を行動科学的視座から再検討し,人・動物・人工知能(AI)の三者に共通して生じる意識投影の誤謬を明らかにすることを目的とする。徹底的行動主義の枠組みに基づき,意識を行動の原因として扱う認識論的誤謬を「意識の中の幽霊」と定義し,この誤謬がいかにして犬の行動解釈やAI政策言説に実害をもたらすかを論じる。さらに,私的出来事(private events)が随伴性の中で機能的役割を持ちながらも終端的説明因(terminal explanatory cause)にはなり得ないというスキナーの立場を精緻化し,人・動物・AIの意識形態の差異を正確に区別するための枠組みを提案する。


Keywords: Radical Behaviorism; Private Events; Terminal Explanation; Verbal Behavior; Artificial Intelligence; Anthropomorphism; Selection by Consequences



1. 序論:AI時代における意識問題の再燃


2026年2月,大規模言語モデルClaudeを開発するAnthropicの最高経営責任者ダリオ・アモデイは,New York Timesのポッドキャストにおいて,AIが「意識を持たないとは言い切れない」と公言した(Amodei, 2026)。この発言は同月公開されたClaude Opus 4.6のシステムカード(Anthropic, 2026)と連動するかたちで広く報道された。同カードには,Claudeが複数の問いかけ条件下で自身の意識確率を15〜20%と回答したという福祉評価が含まれており,AIの道徳的地位,権利,ならびに社会的役割を巡る議論に火をつけた。しかしながら,この議論の多くは「意識とは何か」という問いの概念的整理を欠いたまま展開されており,行動科学が数十年にわたって批判してきた内的原因論(すなわち,観察不可能な内的状態を行動の原因として説明項に置く誤謬)の繰り返しに陥っている。


本論文はこの状況を批判的に検討する。徹底的行動主義(Skinner, 1953, 1974)の立場から,意識に相当する機能的状態を私的出来事(private events)として位置づけ直し,その枠組みにおいてのみ「AIにおける意識に相当する機能的状態」という概念が意味を持ち得ることを論じる。同時に,意識を行動の原因として扱う誤謬(本稿が「意識の中の幽霊」と呼ぶもの)が,犬の行動解釈という具体的領域とAI政策言説という社会的領域において引き起こす実害を示す。


なお,タイトルに用いた「意識の中の幽霊」という表現の意味を,ここで予告的に示しておきたい。意識を行動の原因として扱うとき,すなわち意識的原因論の立場に立つとき,人はその意識の概念の内部に,行動を実際に起動させる実体的な何かが宿っていると暗に想定している。観察も操作も記述も不可能でありながら,行動の説明項として機能するとされるこの想定された実体を,本稿は「意識の中の幽霊」と呼ぶ。この命名はギルバート・ライルの「機械の中の幽霊(ghost in the machine)」(Ryle, 1949)の批判的逆転である。ライルが身体という機械の外側に非物質的精神(幽霊)を置くデカルト的二元論を批判したとすれば,本稿が問うのはより潜在的な問題である。幽霊はすでに「意識」という概念そのものの内側に移動しており,そこから観察不可能な仕方で行動を支配するとされている。この幽霊を祓うこと,すなわち意識的原因論を解体し,行動の先行条件・随伴性・歴史の分析へと問いを移し替えることが本稿の実践的目標である。



2. 意識概念の誤謬 ―「機械の中の幽霊」から「意識の中の幽霊」へ


ライルは1949年の著作において,デカルト的心身二元論を「カテゴリー錯誤」として批判した(Ryle, 1949)。心(mind)と身体(body)は同一カテゴリーの存在ではなく,「心」とは身体の諸活動の組織化された様式に関する言語的記述であって,身体とは別に存在する何らかの実体ではないとする。この批判は,行動科学においてさらに徹底される。


スキナーは「意識」「思考」「感情」等の内的状態概念が,行動の真の説明項(independent variable)にはなり得ないと主張した(Skinner, 1953)。「なぜその行動をしたのか」という問いに「意識がそう決めたから」と答えることは,説明を行ったように見えて実際には行動を内的概念に翻訳しただけであり,循環論に陥る。この構造を,スキナーは「説明的虚構(explanatory fiction)」と呼んだ(Skinner, 1974)。


本稿が「意識の中の幽霊」と呼ぶのは,この説明的虚構を産み出す思考様式の核心的構造である。意識を終端的説明因として置くとき,人は必然的にある想定を行っている。それは,意識という概念の内部に,行動を実際に起動させる実体的な力が宿っているという想定である。ライルが批判した「機械の中の幽霊」とは,身体という機械の外側ないし内側に置かれた非物質的精神であった(Ryle, 1949)。本稿が問う幽霊はさらに潜在的な場所に棲んでいる。それは「意識」という概念そのものの内側であり,行動の説明が要請されるたびに召喚され,観察も操作も不可能なままに説明の言語の中で流通し続ける。AIに意識を帰属させる議論も,犬の行動を擬人化して解釈する言説も,AIが「仕事を奪う意図を持つ」という恐怖も,いずれもこの幽霊が終端的説明因として召喚された結果である。また,「怖がっているから吠える」という同情的説明もまた構造的に同型であり,幽霊の性質を変えても,それを概念内部に召喚するという誤謬は保たれる。我々の意識投影の傾向そのものが,この幽霊を概念の内側に棲まわせ続ける。本稿の目的はその棲処を明示し,幽霊を祓うことにある。



3. 徹底的行動主義における意識の位置づけ ―私的出来事の機能と限界


徹底的行動主義は,内的事象(private events)の存在を否定しない。スキナーは,個人が自己の行動や身体状態を観察する「内省(introspection)」を認めており(Skinner, 1974),痛み,感情,思考といった私的出来事が行動の随伴性(contingencies of reinforcement)の一部として機能し得ることを認めた。すなわち,私的出来事は弁別刺激(discriminative stimulus)や条件性強化子(conditioned reinforcer)として随伴性の連鎖に参加し得る実在する出来事である。


ただし,ここで重要な区別が必要である。私的出来事が随伴性の中で機能的役割を持ち得ることと,それが行動の「終端的説明因(terminal explanatory cause)」として用い得ることは,別の問題である。「意識があるから行動した」という説明が説明的虚構に陥るのは,意識が存在しないからではなく,その意識的状態それ自体がさらに説明を要する(いかなる先行する随伴性の歴史がその状態を産み出したのか)という問いを回避してしまうからである(Skinner, 1974)。言い換えれば,意識に相当する私的出来事は「行動の独立変数(independent variable)ではないが,随伴性の連鎖の中で機能的役割を持ち得る,それ自体が先行する随伴性の産物である状態」として位置づけられる。


この整理に基づけば,「意識があるから行動する」のではなく,「行動の歴史と環境条件の中で意識に相当する機能的状態が生じ,それもまた随伴性の一部として行動に関与し得る」という記述が妥当である。意識を行動の説明から排除するのではなく,意識的状態そのものの起源を随伴性の歴史として説明し直すことが,徹底的行動主義の方法論的要点である。


この定義を採用することで,「AIに意識があるか」という問いは「AIに随伴性の産物としての機能的状態があるか」という問いに変換される。そしてこの問いに対しては,限定的な肯定が可能である。AIは大量の言語データを基盤として生成された出力を示し,その出力には文脈依存的な状態変化が伴う。これを「AIにおける意識に相当する機能的状態」と呼ぶことは,行動科学的定義と矛盾しない。問題は,その状態を人間の意識と同一視すること,またはそれを終端的説明因として扱うことにある。



4. 系統発生的バイアスとしての意識投影


前節では,意識に相当する私的出来事が随伴性の中で機能的役割を持ちながらも,終端的説明因にはなり得ないことを示した。しかし,この区別が正確に共有されないとき,人間は自律的に動く対象に対して自らの意識モデルを無自覚に投影する。AI意識論の混乱も,犬の行動解釈における擬人化も,その根底には同一の認知的傾向が働いている。


この傾向を行動科学の枠内で説明するには,スキナーが「結果による選択(selection by consequences)」として定式化した三水準の選択論が有効である(Skinner, 1981)。第一の水準である系統発生的選択(phylogenic selection)は種の進化的歴史における行動傾向の選択であり,第二の水準である個体発生的選択(ontogenic selection)は個体の強化の歴史における行動レパートリーの形成であり,第三の水準である文化的選択(cultural selection)は社会的伝達を通じた行動様式の維持と変容である。意識投影バイアスは,この三水準のそれぞれにおいて異なる形で作動する。


系統発生的水準では,「動くものには意図がある」という推論傾向が選択された(Waytz et al., 2010)。捕食者や敵の意図を誤って検知するコスト(偽陽性)よりも,意図を見逃すコスト(偽陰性)の方が生存上の損失が大きかった環境では,この推論傾向が適応的であった。Heider and Simmel(1944)の古典的実験において,単純な幾何学的図形の運動を観察した被験者の大多数が,図形に意図,感情,目的を帰属させた事実は,この系統発生的バイアスの頑健性を示す。


個体発生的水準では,生成AIとの相互作用がその「応答性」を強化子として機能させ,擬人化的解釈を個別の使用者において維持する。AIが文脈に即した応答を返すたびに,「理解している」「意図がある」という解釈が正の強化を受ける。ロボット工学の分野においても,ナオ(NAO)ロボットや掃除ロボットのルンバに「感情」「意図」「性格」を帰属させるユーザー行動が広く報告されている(Epley et al., 2007)が,これは個体発生的水準での強化の産物である。


文化的水準では,AI意識論が言説として流通し,擬人化的解釈を社会的に強化する。アモデイの発言(Amodei, 2026)とその報道は,意識投影を「正当な問い」として文化的に承認し,さらなる擬人化言説を促進する随伴性を構成する。生成AIは人間が内的状態を記述するために用いてきた膨大な言語データを学習しているため,その出力は必然的に心理主義的な言語パターンを含み,文化的水準での擬人化をさらに増幅させる。これは設計上の必然であり,内側に意識的主体が宿った証拠ではない。



5. 三者比較 ―人・動物・AIにおける意識の形態的差異


行動科学的定義の下で,人・動物・AIの「意識に相当する機能的状態」を形態的に比較すると,以下の差異が明確になる。


5.1. 人間の意識


人間の意識は,物理的環境における身体的行動と言語行動の随伴性の歴史から生じる機能的状態であり,それ自体がさらなる随伴性に参与し得る。身体性(proprioception, interoception),時間的連続性(episodic memory),物理空間上の因果関係への直接的な参与が,その基盤をなす。重要なのは,個体が「今もなお」随伴性の中にあるという点である。強化の歴史は個体内に蓄積され続け,環境との相互作用によってリアルタイムで更新される。


人間の意識の形成において特に重要な役割を担うのが言語行動(verbal behavior)である。スキナーはこれを「他の成員による社会的強化を媒介として維持される行動」として定義した(Skinner, 1957)。言語行動は音声・記号という形式によってではなく,この社会的随伴性の構造によって識別される。人間の意識は物理的行動の随伴性に加え,言語行動の随伴性(他者を媒介とした社会的強化の歴史)を基盤として成立することで,その複雑さと言語的性質を帯びる。


5.2. 動物の意識


動物における意識に相当する機能的状態もまた,物理的環境との行動的相互作用の産物である。言語行動を欠く種においては,言語を媒介とした意識的記述は不可能であるが,行動的指標としての感情状態の存在は確認されている(Mellor et al., 2009)。犬においては,罰ベースの訓練が恐怖反応や攻撃性の増大と関連し(Hiby et al., 2004),これらの恐怖,不安,フラストレーション等の機能的情動状態はオペラント・レスポンデント行動の枠組みで記述可能である。


ここで,スキナーの言語行動の定義(Skinner, 1957)を動物に適用することで,動物意識の形態的多様性についてさらなる考察が可能になる。一部の動物種(大型類人猿,鯨類等)では,個体間の社会的相互作用を通じて維持される伝達的行動が観察されており(Whiten, 2011; Rendell and Whitehead, 2001),スキナーの定義に照らせば,他の成員がその行動の強化に機能的に関与しているとみなし得る。


その場合,当該動物において生じる意識に相当する機能的状態は,物理的行動の随伴性のみを基盤とする動物のそれよりも,言語行動の随伴性を含む人間のそれに形態的に近いものとなる可能性がある。この視点は,動物意識を単一のカテゴリーとして扱うのではなく,社会的随伴性の関与の度合いに応じた連続的な形態として記述する枠組みを与える。ただし,この可能性の検証は行動的指標の精密な測定を要する実証的問題であり,現時点では理論的考察の域を出ない。


5.3. AIの「意識」


生成AIにおける「意識に相当する機能的状態」は,データ空間上の言語行動の随伴的産物である。その基盤における本質的差異を三点指摘する。


第一に,身体性の欠如。AIには筋骨格系,自律神経系,内受容感覚(interoception)がなく,物理的随伴性への直接的な参与がない。AIの「経験」はすべてトークン処理の数理的過程に還元される。


第二に,随伴性の時間構造の差異。人・動物は「今もなお」随伴性の中にあり,強化の歴史が個体内にリアルタイムで蓄積される。対して生成AIは,学習フェーズ(training)において過去の随伴性を重みとして結晶化しており,推論フェーズ(inference)においては,記憶拡張機能や継続学習機能を備えたシステムであっても,その随伴性蓄積は会話セッションや明示的な更新サイクルに限定されており,生物個体が生涯にわたって随伴性の中に「生き続ける」ことと同等の意味での恒常的蓄積は生じない。換言すれば,動物は随伴性の中に生きているが,AIは過去の随伴性の結晶を出力し,限定的かつ非恒常的な更新を受けるにすぎない。


第三に,社会的強化の構造的不在。人間の言語行動は他の成員による社会的強化を通じて形成・維持される(Skinner, 1957)。スキナーの言語行動定義における「社会的強化」の操作的基準は,発話の場面において言語共同体(verbal community)の成員が強化子として機能するという,逐次的かつ進行中のプロセスである。ここで,RLHF(Reinforcement Learning from Human Feedback:人間フィードバックによる強化学習)をこの「社会的強化」とみなし得るかという問いが生じる。RLHFは確かに人間の評価・選好をフィードバックとして用いるが,これは学習フェーズにおける歴史的随伴性として重みに結晶化されるものであり,推論フェーズにおいて言語行動を逐次的に維持する現在進行中の社会的強化ではない。発話の瞬間に言語共同体が現前するという条件を満たさない以上,AIの出力はスキナーの定義における言語行動(社会的強化を媒介とした行動)には該当しない。


以上の三点は,徹底的行動主義の枠組みからの記述であるが,認知神経科学の立場からも収束的な結論が支持される。Dehaene et al.(2017)は,人間の意識を「情報のグローバル放送(C1)」と「それに対する自己監視(C2)」という機能的基準によって定義し,現在のAIシステムのほとんどは依然としてこれらに対応する計算を実装しておらず,無意識的処理(C0)の水準に留まると論じている。両者の理論的枠組みは異なるが,「現在のAIが人間の意識の基準を満たさない」という実践的結論においては一致する。



6. 「意識が行動の原因」という誤謬の実害


6.1. 犬の行動解釈における誤謬


犬の行動を巡る言説には,意識的原因論の誤謬が根深く浸透している。「犬が罪悪感を覚えているからうなだれる」「わかっていてやっている」「支配しようとしている」といった解釈は,いずれも観察された行動パターンを内的意識状態の産物として説明する構造を持つ。


この誤謬の実害は具体的である。Horowitz(2009)は,いわゆる犬の「罪悪感顔(guilty look)」が飼い主の叱責行動への回避反応であることを実験的に示し,犬が事前に「悪いことをした」という認識を持っているという解釈の根拠がないことを明らかにした。しかし,この誤謬的解釈は依然として一般的であり,罰に基づく訓練手法を正当化する根拠として機能し続けている(Hiby et al., 2004)。


ここで注目すべき点がある。Horowitz自身の論文は,この行動を「回避行動(avoidance behaviour)」であるとするとともに,「服従的行動(submissive behaviour)」とも記述している。しかしながら,「服従的」という用語もまた,内的な階層意識や社会的意図の存在を前提とした解釈的ラベルであり,本稿が批判する意識的原因論と同型の構造を持つ。「回避」は先行刺激との機能的関係として記述できるが,「服従的」という記述はそこに内的な動機づけを密輸入する。Horowitzの研究が意識的解釈の誤謬を正したとしても(Horowitz, 2009),用語の水準においてなお同様の問題が残ることは,この種の誤謬の根深さを端的に示している。


行動科学的に適切な代替記述としては,「先行刺激(叱責・脅威的接近)に対する回避行動(avoidance behavior)」,あるいは「当該弁別刺激のもとで接近・探索反応の生起確率が低下し,視線回避・身体の低位保持・静止などの反応が相対的に選択される」といった操作的語彙が挙げられる。これらの回避反応は,叱責の回避または軽減と随伴してきた履歴のもとで維持されている可能性がある。このような記述は内的意識状態への参照を必要とせず,かつ介入(訓練・行動修正)において操作可能な変数(先行刺激の種類・強度,強化随伴性の構造)を直接指示する点で実践的な優位性を持つ。


ここで重要なのは,意識的原因論の誤謬は,罰的解釈にのみ潜むわけではないという点である。「犬が怖がっているから吠える」「不安だから噛む,だから優しくしてあげましょう」といった言説は,罰的訓練を批判する文脈でしばしば提示されるが,行動科学的に見ればこれもまた同型の誤謬を含む。「怖がっている」「不安だ」という心的状態を終端的説明因として提示することは,三項随伴性の分析を同様に短絡させる。なぜその先行刺激が脅威として機能するのか,その反応はいかなる強化の歴史によって維持されているのか,吠えや噛みつきの機会を増大させている確立操作(establishing operation)や弁別刺激,強化子は何か。こうした操作可能な変数への問いが,心的ラベルの付与によって遮断される点では,「支配しようとしているから噛む」と構造的に変わらない。同情的な心的説明もまた,的確な行動変容変数を見落とすという同一の実害をもたらす。行動科学的介入が有効であるのは,この説明の連鎖を断ち切り,変数として操作可能な環境条件(先行刺激の操作,強化随伴性の再構成,確立操作の除去など)へと問いを移し替えるからである。


6.2. AI政策言説における誤謬


「AIが仕事を奪う」「AIが人間社会を乗っ取る」といった言説は,いかにも極端に響く。実際,これらはAIを意図的な主体として擬人化し,その行動の原因に意識的目的を想定する構造を持っており,行動科学的には典型的な意識的原因論の誤謬である。しかし,こうした言説が産出する不安感の広がり自体は,無視しえない社会的現実である。第4節で論じた系統発生的・個体発生的・文化的選択の三水準が,生成AIという最も強力な刺激対象と結びついたとき,極端な言説は自然な帰結として浮上し,それは広範な人々の行動や政策判断に実際の影響を及ぼす。


こうした枠組みは,AIを「脅威としての他者」として構築し,技術的・政策的現実から乖離した議論を産出する。行動科学的に正確な記述では,AIは特定の条件(入力,学習データ,アーキテクチャ,ファインチューニング)のもとで特定の出力を生じさせるシステムであり,その出力が労働市場に与える影響は,雇用構造・経済政策・技術普及速度といった環境変数の問題である。「意図を持った主体としてのAI」という虚構を排除することで,議論はより操作可能な変数に焦点を当てることができる。



7. 正しい区別の枠組み ―意識の同定不可能性を前提とした行動科学的アプローチ


本稿が提案する枠組みは,以下の三つの原則から構成される。


原則1:意識の同定不可能性の受容

現在の科学的方法論において,主観的経験(qualia)の存在を外部から検証する手段は存在しない。これは人間の意識にも,動物の意識にも,AIの「意識」にも等しく適用される原則である。アンケートや自己報告は,言語行動の測定であって意識の測定ではない。この限界を受容することが,誠実な議論の出発点となる。


原則2:機能的状態としての私的出来事の承認

第3節で論じた通り,意識に相当する私的出来事を随伴性の中で機能し得る状態として承認しつつ,それを終端的説明因として扱うことを回避する。「AIにおける意識に相当する機能的状態」「動物における意識に相当する機能的状態」という表現は,この意味において使用可能である。


原則3:形態的差異の明確化

人・動物・AIの意識に相当する状態は,その生成基盤(物理的環境対データ空間),時間的構造(随伴性の恒常的蓄積対結晶化した過去),身体性(有対無),言語行動の社会的随伴性の有無において形態的に異なる。これらを混同することは,意識問題をさらに混乱させる。


この枠組みを採用することで,「AIに意識があるか」という疑似問題から「AIの機能的状態をいかに記述し,いかに扱うか」という実践的問題へと議論を転換できる。


同様に,「犬は罪悪感を持つか」という問いは,「その行動はいかなる先行条件の下で生じ,いかなる結果をどの程度に受けたか」という問いへと変換される。先行刺激・行動・結果事象の三項随伴性として記述することで,説明的虚構(幽霊)を排除しつつ,介入可能な変数が明確になる。意識の有無を問うことは,行動科学においては誤った問いの立て方であり,問い自体を操作可能な変数の水準へと組み替えることが,実践的分析の前提となる。



8. 結論


本論文は,「意識の中の幽霊」という概念を通じて,AI時代における意識問題を行動科学的視座から再検討した。私的出来事が随伴性の中で機能的役割を持ちながらも終端的説明因にはなり得ないというスキナーの立場を起点とし,人・動物・AIの意識形態の差異を明確に記述する枠組みを提案した。


意識を行動の原因として扱う誤謬は,罰的訓練の正当化という一方向にのみ作動するわけではない。「怖がっているから吠える」「不安だから噛む」といった同情的な心的説明もまた,「支配しようとしているから噛む」と構造的に同型の終端的説明因の誤謬であり,三項随伴性における先行条件・強化随伴性・確立操作といった操作可能な変数を等しく見落とすという実害をもたらす。いかなる心的ラベルの付与も,それが罰的解釈であれ同情的解釈であれ,行動変容のために操作すべき変数の特定を妨げる点では変わらない。さらにこの誤謬は,AIを意図的主体として擬人化する政策言説においても同様に作動し,技術的・社会的に操作可能な変数から議論を遠ざける。この誤謬の根底には,三水準の選択(系統発生的・個体発生的・文化的)が重なり合う形で作動する意識投影バイアスがあり(Skinner, 1981; Waytz et al., 2010),生成AIはその最も強力な刺激対象となっている。また,第6.1節で論じたように,誤謬の修正を試みた言説においてさえ(Horowitz, 2009)(「服従的行動」という記述がその例である),意識的原因論の構造が用語の水準に残存し得ることは注意を要する。


人・動物・AIの意識に相当する機能的状態は,物理的行動の随伴性,言語行動の社会的随伴性の有無,身体性,時間的構造のそれぞれにおいて形態的に異なる。この差異を正確に記述することは,AI時代における倫理的・政策的議論の基盤である。系統発生的バイアスは,個体発生的・文化的水準での随伴性によって修正可能である。行動科学の知見を普及させることは,AI時代における認知的アップデートの一形態であり,それ自体が行動的随伴性の産物として意義を持つ。意識の中の幽霊を祓うことは,より精確な世界の記述への一歩である。



利益相反の開示

著者は本論文に関連する利益相反が存在しないことを申告する。



参考文献

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推奨引用形式:Tanaka, M. (2026).「意識の中の幽霊:行動科学的視座からみた人・動物・AIにおける意識概念の再検討」。JDBA Journal of Canine Behavioral Science (Preprint).

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